浜崎あゆみさんをこよなく愛するnana(@nana_in_nz)です。
2017年4月8日、浜崎あゆみが歌手デビュー19周年を迎えました。そこで今日は、あゆちゃんのデビューから今までの軌跡を振り返ってみようと思います。
わたしはあゆちゃんと10歳差なので、10年前のあゆちゃんは今のわたしと同じ年齢ということ。
あの頃のあゆちゃん、こんなことを思っていたのかなぁ・・・
そんなふうに気持ちを重ねながら10年前の曲を聴くと、当時感じていたこととはまったく違う気持ちになることもあります。
歳を重ねてもさらなる挑戦を続ける浜崎あゆみ。
あゆちゃんのことを、わたしは今までもこれからも、ずっとずっと大好きなまま変わらないでしょう。
デビューからブレイクへの道
歌手としてのスタート(1998〜2000年)
19年前の今日、1998年4月8日、浜崎あゆみは歌手としてデビューしました。デビュー曲は「poker face」。
いつだって 泣くくらい 簡単だけど 笑っていたい(poker face)
19歳の女の子が書くこの歌詞に衝撃を受けた人もいることでしょう。初々しいあゆちゃん、可愛らしいです。
翌1999年1月1日には初めてのアルバム「A Song for xx」を発売、オリコンチャート1位を獲得します。
アルバムと同タイトルの曲「A Song for XX」から好きになったというファンも多いですね。
同曲を筆頭に暗めの歌詞が多いこのアルバム。
笑うことさえ苦痛になってた(A Song for XX)
例えばこのまま会わなくなっても(As if…)
泣きたいだけ泣いてもいい?(POWDER SNOW)
ですが、このアルバムの最後の収録曲にはあゆちゃんが今まで支えてくれた人への感謝の気持ちがたっぷりと込められています。
みんなの愛に包まれたからこうして今声を届けていられるんだね(Present)
絶好調かと思えたスタート。しかし翌2000年に、左耳の内耳性突発難聴を患います。
お医者さんから治療に取りかかるべきだと忠告を受けるも、ツアーを強行したあゆちゃん。それが後に・・・。
人気全盛期(2001〜2003年)
まもなくして、「平成の歌姫」「女子高生のカリスマ」と呼ばれるようになります。
10〜20代の女性向け雑誌の表紙のほとんどがあゆ!なんてことも1回や2回ではありません。
CMも化粧品のみならず、清涼飲料水、お菓子、家電、・・・あらゆるものにあゆちゃんが抜擢されていました。
「マリア〜」のフレーズで有名な「M」も、2000年に発売されます。
わたしがあゆちゃんを好きになったのは、この曲がきっかけ。
入院していた時に、ミュージックステーションでこの曲を歌うあゆちゃんに魅了されたのです。
あのとき入院していて、あのときMステを観ていて、本当に良かった。
2001年にはアニメ「犬夜叉」のエンディングにも使われていた「Dearest」で日本レコード大賞を受賞、以後2002年「Voyage」、2003年「No way to say」でも同賞を受賞し三連覇を果たします。
日本ゴールドディスク大賞「アーティスト・オブ・ザイヤー」、日本有線大賞、ベストヒット歌謡祭グランプリ、ワールド・ミュージック・アワード・・・音楽賞を総なめ。
さらにファッション面においても浜崎あゆみの名を轟かせます。
2000年ベストドレッサー賞、2000・2001年ベストジーニスト賞を受賞、2001〜2003年にはネイルクィーンに選ばれて殿堂入り。
毎週の歌番組、バラエティ番組にも出演し、2002年には自身とお笑いコンビの北陽が司会を務める「ayu ready?」という番組もスタートします。
中学生のわたしには夜11時30分まで起きていることもやっとでしたが、あゆちゃんが映ると眠気も吹き飛びテレビに食いついて観ていました。
録画もして何度も見ていたこの番組、とっても好きだったなぁ。
2001年には初めてのベストアルバム「A BEST」が発売。有名な話かもしれませんが、これは事務所の決定でありあゆちゃんの意思はそこになかったのです。
だからこそ、ベストアルバムなのにそのために「歌い直す」ということをしたのかもしれません。
当時あゆちゃんと並んで大人気だったヒッキーこと宇多田ヒカルさんのアルバムと同じ日に発売ということで、あゆちゃんはそのプロモーションに追われます。
雑誌のほとんどの表紙が、同じ人物。こんな光景、今ではあまり目にすることもないでしょう。
発売日をぶつけてきたのはavexの方で、片っ端から取材を申し込んで、宇多田ヒカルより前のページで!ページ数多く!それが出来ないなら今後avexの歌手はそちらの雑誌に出さない!って言われたっていうの見て、まさか?て思ってたけど当時の雑誌見ると本当にその通りになってるから闇を感じる。 pic.twitter.com/V6BYT6oI6G
? ゆり?TA (@ayu_oct2nd) 2017年3月28日
そのアルバムの発売日である2001年3月28日は、日本人が一番CDを買った日なんだそうです。
まだまだ続くあゆ人気
歌に専念、KEIKOとのコラボも(2004〜2006年)
2004年、スーパーテレビ「浜崎あゆみ…光と影 25歳の絶望と決断」が放映されます。
1999年から取材を続け、5年間。そこには、心の中を語るあまりにもまっすぐあゆちゃんの姿がありました。
不本意に発売したベストアルバムへの思い。
あゆちゃんは「仕方がない」と折り合いをつけたりせず、「組織と戦ってやると思った」と言います。
2000・2001年に受賞したベストジーニスト賞を、その後2003〜2005年にも受賞。史上3人目、女性では初めて殿堂入りを果たします。
このあたりになるとCMも少しずつ減ってきて、持ち番組であった「ayu ready?」も終了します。
2005年にはgloveのKEIKOとコラボした「a song is born」を発表し、愛・地球博開会式で披露します。
わたしが初めてあゆちゃんのコンサートに行ったのが、2004年3月12日に北海道札幌市のきたえーる公演でした。
この日は中学校の卒業式で、卒業式と祝賀会が終わってその余韻に浸るまもなくライブ会場へと足を運びました。
初めてのコンサート。ただただ、生のあゆちゃんの姿と声に圧倒されて聴き入ることしかできなかった。
新曲「Moments」を披露した時、その歌詞に鳥肌が立ったのを覚えています。
憧れてたものは美しく思えて 手が届かないから輝きを増したのだろう(Moments)
2004〜2006年は、わたしが高校生だった期間。アルバム発売日がテスト期間と重なると、とっても喜んでいました。
テスト期間は授業時間が短いので、夕方まで待たずにすぐ聴けるからです。
「Secret」が発売したときは1時間だけのテストを受けに登校し、午前中にお店でCDを受け取って、電車に飛び乗りました。
カラオケにもよく行っていて、あゆちゃんが好きな後輩と一緒に「6時間カラオケあゆ縛り!」なんてやっていましたね。
6時間あっても、あゆちゃんの曲は歌いきれません。
2枚のベストアルバム発売、海外ツアー開催、デビュー10周年(2007〜2009年)
あゆちゃんの意志に反する初めてのベストアルバム発売から6年。
2007年2月28日、「A BEST 2」が「BLACK」「WHITE」の2つのバージョンで発売されます。
このベストアルバムは、オリコンチャート初登場で1位2位を独占します。全盛期が過ぎたとは言えども、まだまだ人気は衰えていません。
この年、平成の歌姫がついにアジアへ進出します。香港、台湾、上海でのツアーを開催。
2007年はわたしが社会人になった年で、この翌年から北海道以外のライブにも参戦するようになりました。
警察学校でもあゆちゃんが大好きなのは自然とみんなに知れ渡り、誕生日に発売された「glitter/fated」をジャケット違い(CDのみとDVD付き)でクラスメイトからプレゼントしてもらってとっても嬉しかったです!
2008年にはデビュー10周年を迎え、シングル曲だけを集めた「A COMPLITE 〜ALL SINGLES〜」を発売。
シングルではないけれど大人気の曲である「Who…」が10周年を迎えたあゆちゃんによって歌い直して収録されています。
この年には、ファンクラブのブログにて重大な発表がありました。
それは、2000年に患った左耳の内耳性突発難聴が悪化し、聴覚が完全に失われてしまったということ。
聴こえなくなってしまった左耳、あゆちゃんはこのとき何を思ったのでしょうか。
あゆの時代は終わらない
50枚目のシングル発売、デジタル3Dライブコンサート映画公開、結婚そして離婚(2010〜2012年)
2010年に行われたアリーナツアー「ayumi hamasaki Rock’n’Roll Circus Tour」。
このライブは、たくさんのライブの中でも特にお気に入りのライブです。
「Rock’n’Roll Circus」というアルバムをもとに構成されていますが、ツアー初日と二日目はアルバム発売前という異例のスタートでした。
このアルバムに収録されているcount downという曲はあゆちゃんの左耳のことを思わせる歌詞があります。
真っ直ぐに受けとめていくわ
あたしのこの左側で
同情なんかはいらないわ
そこがもしも奈落の底だとしたなら
後は上がるだけだと
この時、わたしはお誕生日と前日に公演があったので迷わず参戦!忘れられないお誕生日イブと当日を過ごしました。
初めてアリーナ席が当たったのもこのライブ。
50枚目のシングル発売へ向けて、3作連続でのリリースも行っています。
中でもお気に入りは「MOON」。
手を伸ばせば届きそうな 月をふたりで見上げたね
綺麗すぎて苦しかったから 泣き出しそうになってたんだ(MOON)
あゆちゃんの書く歌詞で「月」が出て来る曲はどれも、さみしさと温かさが入り交じっています。
また、上記アリーナツアーの締めくくりとして『ayumi hamasaki Rock’n’Roll Circus Tour FINAL 〜7days Special〜』を代々木第一体育館にて7日間に渡るライブを開催しました。
このライブが発表された時には驚きました。行くことが出来ず、DVDでガマンしたんだよなぁ。
2010年8月には、日本人アーティストとして初めてデジタル3Dで2009年に行われたアリーナツアーが映画化され、「A3D ayumi hamasaki ARENA TOUR 2009 A 〜NEXT LEVEL〜」が公開されました。
札幌でもこの映画は公開され、ライブグッズの光るペンライトを持って見に行きました。
満席ではなかったけれど、同じようにあゆちゃんを好きな人が札幌にもこんなにいるということがとっても嬉しかったです。
12月には、あゆちゃんが弟と称して慕うAAAの浦田直也とともに「Dream ON」をリリースします。
この年のカウントダウンライブには、12月31日の公演の際に浦田直也がサプライズゲストとして登場するなど、新しい試みもありました。
そのカウントダウンライブ終了直後、ツイッターとファンクラブのブログで結婚を発表します。
お相手は、オーストリア出身の俳優マニュエル・シュワルツ。
50枚目のシングル「L」に収録されている三部作のミュージックビデオであゆちゃんのパートナー役として出演した男性です。
このときはスポーツ紙も大々的に取り上げましたね。
勤務先の交番の新聞紙、古新聞に出す前にあゆちゃんのページだけ切り取って持って帰ったのが懐かしい。
しかし翌2012年1月、ファンクラブのブログにて離婚が発表されました。
あゆちゃんが結婚をした2011年、3月に東日本大震災が起きました。この年に計画されていたツアーは、すべて一度白紙状態に。
あゆちゃんが選んだのは「歌の力で日本を元気にすること」でした。
「POWER of MUSIC」と名付けられたそのツアーは、今までのアリーナツアーとは違う、音楽そのものを伝えたいというあゆちゃんの思いがぶつけられました。
このツアーも、お気に入りのひとつ。
今まで「ショーがやりたい」としてライブの中でも様々なパフォーマンスを見せてきたあゆちゃんですが・・・
このライブでは様々な曲をアコースティックバージョンやオーケストラバージョンにしたり、音楽が本来持つ魅力を引き立たせるためにシンプルに歌を唄うというライブでした。
2012年には、翌2013年のデビュー15周年を記念した活動が始まります。
同年11月8日を皮切りに、2013年3月8日までの毎月8日に5ヶ月連続リリースを行いました。
1. ミニアルバム
2. ミニアルバム
3. クラシックアルバム
4. アルバム
5. ライブDVD
正直、この売り方はずるいな〜なんて思うのです。
けれど、あゆちゃんが決めたわけではないだろうし・・・なんて言って結局全部買ってしまうのですが。
ライブDVDなんて、いつ注文をしたのかわからなくなって間違えて2枚注文しまいました。(一枚は、地元のあゆちゃんが好きなお友だちへプレゼントしました。)
デビュー15周年、再婚、紅白歌合戦卒業(2013〜2014年)
2013年にデビュー15周年を記念した全国ツアー「ayumi hamaskai 15th Anniversary TOUR 〜A BEST LIVE〜」は、ファンからのリクエストをもとにセットリストが決定されました。
これまでの15年間に発表した全241曲を対象としてファン投票を行い、上位50曲から33曲をツアーで披露しています。
あゆちゃんを好きになるきっかけとなった「M」は、生で聴けば聴くほどに好きになる曲です。
2013年の12月、UCLAの医学部大学院生との婚約を発表、翌2014年3月3日に入籍します。一般人ということで、名前は公表されていません。
2014年は、あゆちゃんが日本にいることを窮屈に感じていたピークのときかも・・・。
生活の拠点をアメリカへ移し、ライブも「ayumi hamasaki PREMIUM SHOWCASE 〜Feel the love〜」と称して東京・大阪・名古屋の三都市でのみ行われました。
デビューから15年連続出場を果たしていた紅白歌合戦からも卒業することを発表します。
紅白歌合戦で歌ってから、カウントダウンライブの会場へ向かってまたライブをするのですから、超ハードスケジュール。
あゆちゃんが紅白歌合戦で見られないのはさみしいけれど、カウントダウンライブを続けてくれるのですから、自身の体を大切にしてほしいと切に願います。
大切なものはここに。まだまだ終われない。
再び日本へ。12年ぶりのファンクラブ限定ツアー開催(2015年)
2015年、あゆちゃんが帰ってきた。
「ayumi hamasaki ARENA TOUR 2015 A Cirque de Minuit ?真夜中のサーカス?」はここ数年のアリーナツアーの中でもとても評判がよく、わたしも数公演観に行ったが飽きることなく楽しめました。
その最終日に、あゆちゃんから発表されたとってもとっても嬉しいこと。
TAというのはファンクラブ「Team Ayu」のことで、つまりはファンクラブ限定ツアーの開催を発表したのです。
2003年以来、実に12年ぶりのファンクラブ限定ツアー!
8月末にニュージーランド行きを決めていたわたしですが、9月末にニュージーランドから日本へ一時帰国することを即決させたあゆちゃんのひとことでした。
20周年へ向けてまだまだ走り続ける
A BEST発売から15年、20周年へ向けて(2016年〜)
2016年3月28日、あゆちゃんの初のベストアルバム発売から早くも15年。
15年たった今でも色あせない名曲が再び、15年前のベストアルバムと同じ発売日に帰ってきました。
まっすぐ前を見つめながらも一筋の涙を流すこのジャケット。その意味をもう一度じっくりと考えてみたくなりました。
そして、今日。2017年4月8日。浜崎あゆみとして歌手デビューして19周年。
今日から20年目が始まります。
かけがえのない19年間をありがとう🙏今日から始まる20年目!恩返し出来る自分でいられるよう、改めて気合い入れ直して全力で駆け抜けます!!!#19thanniversary#Thankyoupic.twitter.com/2ydr3sm2R9
? ayumi hamasaki (@ayu_19980408) 2017年4月8日
今年のツアーも少しずつ発表されています。楽しみにしている人がいっぱい!
明日は、いよいよあゆちゃんのツアー詳細発表😍😍✨
もうあゆちゃん不足すぎるから、早くあゆちゃんに逢いたくて逢いたくてたまんない😭😭💓
久しぶりにTODAY聴いてるけど、やっぱりこれいつ聴いても泣ける😢💕✨ pic.twitter.com/zMqAlQruO7
? TA?愛奈 (@aina_6732) 2017年3月23日
19周年おめでとう。ありがとう。そしてこれからも。
これからもわたしは、あゆちゃんのことが大好きで居続けるのでしょう。
あゆちゃんが歌い続ける限り、きっとついていこうとするのでしょう。
なんでもない今日を宝物として大切に抱えながら過ごしていきたい。
あゆちゃんはとっても人間らしくて弱いところもたくさんあって、守りたいものを守り抜くために必死で、強がって。
そんなあゆちゃんにわたしはずっとずっと寄り添っていたい。
ニュージーランドにいても、応援したい気持ち、大好きな気持ちは変わらないどころか大きくなるばかり。
あゆちゃん、19年間歌い続けてくれてありがとう。歌を選んでくれてありがとう。
20年目も、一緒に走っていきます!
これからも ずっと あゆちゃんの歌声が みんなに届きますようにと・・・
with LOVE, nana