
ワーホリ中、英語が嫌になって帰りたくなったことが何度もあるnana(@nanapekota)です。
英語が話せない!英語が聞き取れない!と思ったことはありませんか?
そんな思いが強すぎて、誰とコミュニケーションしても楽しくない・・・。
わたしも、ワーキングホリデー中に、日本に帰ろうかなと悩んでいたことがあります。
でも、実は、ある友人のひとことがキッカケで、そんな考えが吹き飛んだのです。
もしこのことを意識しなければ、ずっと「やっぱり英語が話せないと楽しくない・・・」とワーキングホリデーや英語に対する気持ちがネガティブなままになってしまうかもしれません。
そんなことにならないように、そして自分自身もあのとき思っていたことを忘れないように、今回はあるお話をしようと思います。
サクッと読むためのもくじ
ワーホリのきっかけ

(オーストラリアのNoosaのビーチ。自分の目で見られたときは本当に嬉しかったです。)
まずはじめに、わたしがなぜ、オーストラリアへワーホリに行きたかったのか。
それは、ただの憧れです。
小さいころから、オーストラリアに関する記事や景色の写真を見て
って思っていました。
それがいつの間にか
でも留学はお金がないし勉強も好きじゃないし・・・
という、ちょっと手が届きそうだけどまだ叶わない、そこに憧れとしてあるのがちょうどいい、という感じでした。
インターネットでオーストラリアの景色を検索してみていると、いろんな記事があって、読み進めていくうちにワーホリという制度を知りました。
これだ!と思ったわたしは即母親に電話をして、
」と言い切っていました。
ワーキングホリデーのことを調べたり、必要な資金集めや準備などに1年半かけて、ついに5年間の警察官人生に幕を下ろします。
たくさんの良き上司・同僚・同期に「またね。」と別れを告げ、ビューンとオーストラリアへ飛んだのです。
最初の1ヶ月 初めてのホームステイ、語学学校

オーストラリアでは、最初に12週間語学学校へ行きました。
最初の4週間はホームステイ。
今でもおうちへお邪魔したり連絡を取り合っている、素敵なファミリーに恵まれました。
ホームステイしているときは、英語が話せないことよりも、初めての海外生活や見るものすべての新鮮さにワクワクが勝っていました。
ファミリーもとっても優しくて日本が好きなご家族だったので、たまにお豆腐を使ったごはんを出してくれたりと、とても暖かかったのでホームシックにもならなかったです。
2〜3ヶ月 シェアハウスでの共同生活

日本人限定のシェアハウスに住みました。
まだまだ環境に慣れず知らない言葉も多すぎて怖かったので、語学学校で英語・おうちで日本語という環境を選びました。
この時点で英語環境に飛びこんでも問題はないかと思いますが、チキンなわたし…
このころに、日本食レストラン、通常ジャパレスでホールのバイトを始めます。
このときのスタッフはみんな日本人でしたが、とっても優しいし英語が出来る方々でしたので、たくさん学びました。
人生で初めてのアルバイトでしたので、レストランでのお仕事ももちろん初めて。お盆の持ち方や接客の仕方などとても丁寧に教えていただいたので感謝しています。
ここでのお客様はほとんどオージー、オーストラリアの方々です。
ここで英語で対話する楽しさを再発見。
といっても、レストランで使う接客英語は決まった言葉が多いので、そう難しくありません。
そう言えばこの時期に、もう一つ初体験をしました。
「学校を自分の都合で休む」ということ。
その理由は、カジノのランチブッフェへ行くためです。
それでもクソ真面目なわたしは、これって休んでいいの?ほんとにこの理由で休むの?と葛藤していました。
4〜8ヶ月 バナナファーム

3ヶ月で学校が終わり、いよいよファームへ移動します。
学校では、同じくらいのレベルの子たちが同じクラスにいるわけで、ほんわかのんびりとしていました。
しかしファームの町ではそんなわけにはいかない!
最終的にTullyという小さな村へ行きました。
バックパッカーに住みましたが、初めてのバッパーステイでルームメイトがイギリス人の男の子3人。
学校を出て初めての環境で母国語が英語圏の彼らの会話を聞いて、英語が早すぎて全然何言ってるのかわからない!とかなり落ち込みました。
イギリス人なんだから、当たり前なんですけどね。
さらに他の日本人の子たちや韓国・台湾・香港、英語圏以外のヨーロッパ出身のみんなの様子を見て
と、本当に毎日部屋に引きこもって超早寝・超早起き(そしてお仕事探しをして帰ってきてお昼寝)という生活をしていました。
しかし今振り返ってみると、なぜかこの村に到着した翌日にはみんなで出かけていました。

超大人数!まるで学校のクラス行事のようです。
到着して2日目でまだ友達もいなかったけれど、この村を紹介してくれた人の韓国人の子たちが「あいつの友達なら、面倒見るから困ったときは頼ってよ。」って言ってくれたので心強かったです。
実際、この日のお出かけにも誘ってくれたし、晩御飯を毎日作って誘ってくれました。
実はTullyに引っ越してきて、一週間分の滞在費を払い終わったとき・・・
オーストラリアの口座にあるお金は残り$20を切っていたんです…
当時は誰にも言っていなかったけれど、賭けでこの村へ来たようなものです。本当に彼らの御厚意には助けられました。
ちゃっかりお仕事ゲット

運良く日本人の子がお仕事を紹介してくれて、Tullyに来て5日目お仕事ゲット。
しかしファームでも、「なんでみんな英語が分かるの?」という意識ばかりが働いて、
オーストラリアの綺麗な景色を見たくてきたんじゃないの?
ってネガティブオーラ全開だったでしょう。
そりゃあ、誰も話しかけたくないよなあって、今なら思います。
なぜ?!?目が腫れて開かない!!!
ファームで働き始めて1ヶ月経った頃くらいに、左目が腫れて開かなくなりました・・・
キャッシュレスで診てもらえる病院はケアンズという街にあります。
車で2時間半の距離だったのですが、ちょうどお出かけする人がいたので連れて行ってもらいました。
帰りは翌日ということだったので、わたしもケアンズのバッパーに泊まることにしました。
バッパーで出会った台湾の子たちが本当にいい子たちで、チェックインしてからすぐ「ランチまだなら一緒に行かない?」と誘ってくれたんです。
台湾人同士の二人が会話するときも、わたしの前では英語を使ってくれたりと、1人ぽつんとならないように配慮してくれました。
そのときにまた、英語で話して楽しむということを思い出したのです。

(目が腫れて開かないのに、話しかけてくれた二人に感謝。アイスを持って楽しそうなわたし。)
二人との時間はとても短かったけれど、とっても有意義でした。
頑固に引きこもる日々にピリオドを打つ。
Tullyに帰ってくると・・・引きこもり生活に逆戻り。
この頃はお仕事から帰ってきたら、ご飯食べてすぐ寝ていました。
ネガティブになりながらもあゆちゃんを聞いて自分を励ます。
なぜか
っていう意思だけはあったのです。
英語が聞きとれない・話せないということに対してどうしたらいいのかを考えるよりも、このときはただの意地で時間が流れるのをひたすら待つという感じでした。
この頃、新しい日本人の女の子がルームメイトとして入ってきました。
わたしの引きこもり生活を終えさせてくれた大切な人です。
いつも、「ご飯食べよー」「ちょっとこっちで話そー」とかってみんなのいる場に連れてきてくれました。
この子のおかげでだんだん外へ出るようになったわけですが、それと同時に英語を話すことももちろん増え、「友達と話すのが楽しい」という考え方、英語が伸びるもととなる考え方を取り戻すことができたのです。
ワークバッパーのパブはみんなの溜まり場
バッパーの1階はパブなので、お仕事が終わってから木曜以降の週末の夜はみんなで飲んだりもしていました。

それでもずーっと自信のなさはとれなくて、楽しいという気持ちが勝りつつもモヤモヤとした何かが心に引っかかっていました。
9ヶ月目 偶然の出会いが心を動かす

やがてTullyを去る日が来て、仲良くしてくれたみんなとはいったんお別れ。
Tullyを出た後に旅行中のアメリカ人の方と出会いました。
彼は日本や日本の文化が好きだから話がしたいと言ってくれたのですが、結局、わたしが英語を話せないことへの自信のなさをテーマにしたお悩み相談をしてもらうことに。
そこで彼はこんなことを言ったのです。
僕は、君が話している英語で、何を言っているのかわかるよ。
君だって、僕の言っていることがわかるから今こうして一緒にご飯を食べているよね。
僕はネイティブだから、君の英語に多少の間違いがあっても汲み取れる。
もしわからないことがあったら聞き直すし、まだわからなかったら違う表現に変えたり簡単な単語を探す。
それでもダメだったら、違う話題にすればいい。
二人が楽しいと思う話をすればいい。
一つのわからないことにこだわって説明して楽しくないなら、きっと大した話でもないんだし、次の話題へ行こうよ。
どうしても大切なことなら、辞書を使ったりどうにかしてお互い伝え合って理解するけれど、会話の中にそんなに伝えなければならないことっていくつもないよ。
だから、英語で話して君が楽しいって思っていることが大切だよ。
文法とか間違いを気にして楽しめないなら、間違ってても楽しいほうがいいでしょ?
今、僕の伝えたいことわかったよね?
この時彼の言葉がすっと心に落ちました。
そうだ。コミュニケーションとは、そういうことだ。
当たり前なのかもしれないのだけれど、このときの自信のないわたしにとって、直接この言葉を言ってくれて気づかせてくれてハッとしました。
ビジネスやテストに使うわけじゃないんだから、間違ったっていいんだ。
冗談言い合ったり、面白いと思えるくらい相手の英語がわかるようになったんだって、少しずつでもプラスのところを見つけていこうと思えるようになりました。
こう思えたのが、ワーホリ9ヶ月目。
とっても長かったけれど、気がつけてよかったって思っています。
話せるかどうかより、英語を楽しむことが大切

英語がわからない!と、本当に帰りたくなったことも毎日のようにあったけれど、「帰ったら負けだ」という意地のおかげでなんとか滞在していました。
葛藤していた期間は少し長かったけれど、いろんな人との関わりが今の自分を形成しているんですよね。
悩み続けていたときに、「英語で話すことが楽しい」と思うことが大切だと気づかせてくれた偶然の出会い。
そこで改めてコミュニケーションの大切さに気がつくことも出来ました。da
あなたがまだ「英語が話せない!」と悩んでいるなら、英語を楽しめていないのかもしれません。
ワーキングホリデーでのあなたにとっての英語は、楽しくコミュニケーションを出来るツールのひとつであるはずです。
そんな風に英語に悩まされることなく、一年間というワーキングホリデーを心から楽しむことができますように。
with LOVE, nana