こんにちは。思ったことがぜーんぶ表情に現れてしまうnana(@nana_in_nz)です。
不幸自慢をしたがる人って、たまにいますよね。「自分はこんなに不幸なの」というアピールなんて、聞いていてちっとも楽しくないです。聞いた後に不快になるくらいなら、最初から聞かないほうがいいと思っています。
こんなに不幸なの。かわいそうだから慰めて
どれだけ大変な目に遭ったとか、こんなに辛い思いをしたとか。信頼されていて相談されたり、ネタにして面白く話してくれるなら別の話です。
誰かれ構わず話して不幸自慢をしたいなら、そんな相手になるのはまっぴらごめんです。
他に聞いてくれる人がいるならば、聞いてくれる人リストからわたしを除外してください。
たいていの話は大げさだったり、自分に都合の悪いことは隠されているか都合良く書き換えられています。他の人にも同じように話して来たであろう内容を淡々と話すだけ。
聞いてほしいのはわかるけど、聞いて不快になる人もいるのです。
同情や慰めの言葉がほしいだけなら、成長しない。
そういった人が求めている言葉ならだいたい予想がつきます。
「大変だったね」
「辛かったね」
「怖かったよね」
「これからゆっくり乗り越えようね」
決まりきった慰めの言葉を言うことならできるけれど、そこには何の感情もありません。そして、誰でも言えること。
ただ慰めの言葉を聞けて満足という人は、また同じことを繰り返すでしょう。
キズを舐めてほしい人を満足させるために生きているわけではありません。
聞き上手な人が心の中でどう思ってるかは知らないけれど、少なくともわたしは、思ってもいない慰めの言葉をかけられるほど器用じゃないです。
その話から何かを学べたり、教訓となることはありますか?
なにもないなら、聞くだけムダ。今夜の夕飯のことでも考えたほうがよっぽど良いです。
不幸な経験から何を学び、これからにどう活かすのか
どういう風に乗り越えていくのか、また同じことにならないためにはどうするのか。
そういったことを踏まえて話せば、不幸自慢は聞き手も不快な思いをせずに済むはずです。むしろ、「そんな苦労した話をしてくれてありがとう」と感謝されるかもしれません。
不幸な思いをしたこと、苦労したことから何を学んでこれからどうしていくのかといった視点です。
話し手がそうであれば一番ですが、そうでないときはもうそんな話、聞きません。
時は金なり。ただなんとなく話を聞かされるのは、わたしに必要な時間ではない。
with LOVE, nana